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COSMOS 第9号 / 1997年7月発行

こちらのページは佐久合氣道通信「COSMOS」コスモス(1993年7月から2002年10月刊行)に掲載されていた遠藤師範からのメッセージを抜粋して再掲載しております。

基本の繰り返しと自在性の追求

合気道佐久道場長 遠藤征四郎


 合気道の普及は、日本国内では約50年前から、海外では約35年前から始まった。最近の普及は特に目覚ましい。本部道場の公認を得ている国は現在70カ国になろうとし、公認されてはいないが既に合気道が入っている国も沢山ある。今後、合気道の普及が一層進み、また20年、30年の長い稽古歴を持つ人が増えていく中で、ときどき、私たちはこれから何を目的とし、どのように稽古を続けていったらよいだろうか、と考えることがある。

 合気道では本来、ダイナミックな動きや自在性を求め、それらの達成のために稽古を行っていると思うのだが、私には稽古歴の長い人ほど硬直化が目立ち、マンネリ化しているように見える。皆さんはどのように稽古されているだろうか。私たちは同じ技を繰り返し行ってゆくことにどのような意義を見いだしたらよいのか。

 そこで私が思い出すのはパブロ・カザルスの話である。彼は、戦乱の時代に誰よりも世界の平和を願って演奏活動を行った偉大なチェロ奏者である。彼が13歳の時、当時は全く見放されていたバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜を見つけ、それ以来毎日欠かさず弾いていたという。バッハの無伴奏組曲は六曲あり、一日一曲ずつ、一週間に少なくとも一回は同じ曲を弾くことになる。彼は96歳で亡くなっているが、半世紀以上にわたって毎日これを続けていたのである。彼自身、「自分の家であげる一種の祈りみたいなものであった」と語っている。毎日必ず他の曲も弾いたと思うが、彼は先ずバッハの曲を弾くことによって自らの心を洗い、新鮮な気持ちで演奏活動を行っていたのだろう。カザルスという天才の独創的な演奏は、基本的なことの繰り返しでありながら、日常それに真剣に取り組むことによって到達し得た「心と体の解放」の結果であろうと私は確信している。合気道と世界は異なるが、チェロ奏者カザルスのこの話は、これからも長く合気道を稽古してゆく私に大きな感動を与え、稽古への取り組み方も示してくれたように思う。

 合気道開祖植芝盛平翁は晩年、道場に現れると、よく「今、何をしていたのじゃ」と指導担当師範にたずねられた。師範が「四方投げをしていました」と答えると、「四方投げとは何じゃ」と問い返された。稽古の中でも「この時はこうじゃ」、「この時はこうじゃ」と言いながら、同じ技を二度三度とくり返すのではなく自由自在に動いておられた。「合気道とは神ながらの道である」ともよく言われた。「神ながらの道」とは、「あるがまま、なるがまま」ということと私は解釈している。開祖はあるがままに相手に対し、なるがままに技を示されていたのではないだろうか。「この技はこうあるべき」という気持ちにとらわれず体を自在に活かし動かすことは、やはり「心と体の解放」無くしてはできない。

 基本の繰り返しと、独創性、自在性の追求。カザルスと盛平翁、二人の天才が実践し到達した心と体の解放の姿に、今後の私たちの指針を見いだせないだろうか。(1997年7月)