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COSMOS 第7号 / 1996年7月発行

こちらのページは佐久合氣道通信「COSMOS」コスモス(1993年7月から2002年10月刊行)に掲載されていた遠藤師範からのメッセージを抜粋して再掲載しております。

演武が表現するもの

合気道佐久道場長 遠藤征四郎


 五月十八日、全日本合気道演武大会が日本武道館で行われた。関東地方を中心に全国から四千人を越える演武者が参加した。ここ数年演武者が増えているのは合気道界にとって喜ばしいことである。合気道の良さが一般に認められ、益々大きく拡がりつつある現状は、指導に当たっている人々の努力の賜物といって良い。一方で演武の内容については、この演武会が何を目的にしているかにもよるが、現状に満足することなくより高いレベルを目指していく必要があるように感じる。

 指導者の中で師範と呼ばれるのは、二十年以上の合気道歴があり四十才以上の方々である。若い人から年配の人までいる。合気道歴の短い人も長い人もそれぞれに試行錯誤を重ねながら、合気道に対するそれぞれの思い(思想、哲学)を持って稽古をし指導していることだろう。前号のコスモスで「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」という言葉を取り上げた。この言葉と共に演武会を考えてみると、「演武会は演武者の合気道に対する日頃の思いを表現する場である」といえよう。体力充実した若い師範の演武が力強くあらあらしいのは良しとしても、体力のピークを過ぎた年配の師範ではどうか。たとえ力があったとしても、あらあらしさや強がりだけが目立つ演武よりは、より長い人生とより長い合気道の経験から得た「思い」を練り込んだ技を演武として見せて欲しいと思う。

 私は三十代の中頃、時々笑いながら稽古している自分に気付いた。笑いながら稽古ができていたのだから多分うまくできていたのであろうと考え、その時の自分自身をしっかりと見つめ直してみた。そして、気持ちにとらわれがなく、腕力にたよらず、柔らかく、無理がなく、気だけ集中して相手に対していることを知った。このような稽古を何年も続けるうち、相手を投げるとか、押さえるとか、いためるという気持ちは消えてゆき、心が軽くなり、体が動きやすくなった。

 それ以来、合気道の稽古とは、直面する現実をしっかりと捉え、自己を失わず、相手を生かす心で、技を進め、練り込んでいくことであると考えている。これによって確かな自己を築き上げていく事ができると信じている。演武会は間接的ではあっても見る者には大きなインパクトを与えうる場であるので、私は演武の機会があるたびにそのときの「思い」をできるだけ端的に表す努力をしていきたいと思っている。(1996年7月8日)