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SelfとEgoの境界線を見究める ~有賀要~

 15歳で合氣道の門をたたき、『合氣道は「自己開発・自己実現・自己確立の道」』という遠藤師範の言葉を聞いて以来、「自己」とは何かを考えながら合氣道に取り組んで参りました。ここ数年は、自己を考えるあまり主張が強くなり柔軟性が乏しくなっている自分に気が付き、「自己」とは何なのかと思い悩む日々を過ごしてまいりました。

そんな中で今年の初め、ある本の中で『「Self」を見失わないこと、「Ego」を強くしないこと』という一文に出会い、自分の中で霧が晴れる思いでした。

 稽古において「Self」とは、肚であり心体ともに整った自然な状態。「Ego」とは心が囚われ体のバランスを崩した不自然な状態と考えています。

私の担当した稽古では、始めに、〈中心の確認〉から行いました。これは自分の意識を肚に置き、力まず意識を肚から天地の方向に伸ばし、淀みのない内側を整えるのが目的です。「Self」の確認作業ともいえます。

次に行ったことは、稽古中、最も相手と触れることとなる、〈手・腕の確認〉です。①柔らかい ②硬い ③肚と結ばれ力みのない状態 とします。③を基本に置き、③から①、①から③に動きの中で変化させていきます。(「Self」を見失わず「Ego」を出さない事。「Ego」がでると②の状態に陥ります。)ここで②になっている自分、②に陥りやすい自分を意識できるといいと思います。

次に「Self」を見失わず相手の、〈邪魔をしない〉感覚を確認しました。相手からくるエネルギーを受けいれることで、主張しがちな「自己」を抑制する目的があります。

合氣道は「平和な武道」「ハーモニー」と称されることがあります。特に欧州の人たちと話をしていると頻繁に耳にします。が、自分の取りを考えるにつけ、始めの出会いの後、目的を持って(たとえば小手返しならば小手返しをする等)、積極的に動きすぎているのではないか。もっと踏み込んでいえば、「平和な武道」と言いながら暴力的なアプローチを相手に一方通行で行なっているのではないかという反省から、この課題を取り入れています。

次に行ったことは、〈ハグ〉です。「投げる」「倒す」「極める」という自分の意識「Ego」が、相手のバランスを助けています。また、彼我の境界線を際立たせるとも感じます。投げようと思えば、相手は投げられまいとなり、倒そうと思えば思うほど相手は倒されまいとします。先ずはやさしい気持ちで相手と一体となること、そこで相手との一体感が感じ取れるといいと思います。ここでは特に相手を倒す目的を持たないように注意して行います。

最後に、〈合氣とは〉…合氣道を志す者として、「合氣」の意味を知りたい、感じたいと願っています。稽古中に遠藤師範が時折、「皆さん、合氣しましょうよ。」とおっしゃいます。では、「合氣」って何なのだろう。どんな状態が「合氣」出来ている状態なのだろうと考えます。

いま、思うのは彼我の無い一体となることだと思っています。稽古中にもお話させていただきましたが、自分が青で相手を赤とします。青が赤を塗りつぶすのでなく、赤が青を塗りつぶすのでもなく、そこに紫が生まれたら、彼我の境界線の無い世界が生まれ「合氣」されたといえるのではないでしょうか。

 大先生は合氣道を「世界平和の道」「愛」とおっしゃいました。彼我の無い世界は、平和な対立の無い世界です。そのためにもまずは自分を見つめ、「Self」を開発・実現・確立し、「Ego」との境界線を認識し、踏み越えない努力をしないといけないと思います。

この素晴らしい「合氣道」の稽古を通じて、「合気道は愛」とおっしゃった大先生の気持ちに少しでも近づきたいと思います。

 遠藤師範の夏期研修会において稽古を先導する役を1時間いただき、非常に緊張いたしました。このような緊張を経験できたことを遠藤師範に感謝いたします。また、つたない先導でしたが、良い雰囲気でともに稽古してくださった皆様に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

2015年 9月

合氣道佐久道場

有賀要